

何年か前に訪れたボルトガルの首都、リスボンです。
写真は市内の小高い丘にあるサンジョルジュ城(だったと思う)から、市街を撮ったもの。
ブログを始める前だったこともあって、ロクな写真がありゃしない……orz。
これから書くことも何年か前の情報なので、今はどうなってるか分かりません、あしからず。
観光客が歩く表通りは綺麗で、コメルシオ広場や広場前の通りはお勧め。
但し、一歩露地裏に入ると………汚い!
落書きはまだしも、犬の糞がそこら中に散乱しているのには閉口しました。
こういうのを見ると、日本の民度がまだまだ高いのだということを改めて認識させられます。
今後、こうなってしまうのかもしれないですけど。
サンジョルジュ城(だったと思う)からの眺めはよく、リスボンに来たら訪れておきたい場所です。
但し、城の中には、大した展示はなかったように記憶しています。
ホテルに入ると市内観光バスツアーの案内がありますが、これは間違いなくパスです。
ホテルを回って参加者を集めるのではなく、近くにトイレもないような広場に集め、しかも時間通りに出発しねぇ……orz。
あまりに待たされ過ぎて、ツアーの最初の場所で脱落する観光客多数(自分もその1人)。
その最初の場所だった、馬車の博物館はお勧め(名前忘れた……すいません)。
様々な馬車が展示してあるのですが、王族の結婚式に使ったようなものまであって、それはそれは絢爛豪華。
白馬の王子様を待っていらっしゃる女性の方は、見ておくとイメージが膨らんで……ますます理想が高くなって……あ、あれ、結婚が遠ざかる!?
かもしれないので、見ない方がいいかもしれません。(何じゃそら!)
この馬車の文化を見ると、欧米で車が発達してきたのも納得できます(馬がエンジンに変わっただけ)。
車関係の方だと、もっとたくさん感じることもあるのではないかと思います。
街全体にあんまり活気がなくて、田舎の地方都市といった印象。
ユーロ圏全体で考えると、まさにそうなのかもしれませんね。
でも、時間はゆったりと流れていて、こういう雰囲気の好きな方にはたまらない場所でしょう。
夕食はちょっとお値段が高いですが、バド(ポルトガルのギター)の演奏が聴けるレストランがお勧めです。
出した分だけの満足度はあるかなと思います。
ホテルで尋ねたら場所を教えてくれるでしょう。


ヨーロッパとアフリカが出会う場所、ジブラルタルです。
ジブラルタルの語源は、アラビア語で「ターリクの山」を意味するジャバル・ターリク。
これが訛ってジブラルタルになったそうです。
西暦711年、イスラーム帝国ウマイヤ朝の時代、語源となったベルベル人出身の将・ターリクがムスリム軍を率いて海峡を渡りジブラルタルに上陸。
西ゴートの王ロドリーゴを敗死させてイベリア半島を征服しました。
その後、キリスト教徒による国土回復運動(レコンキスタ)が展開されます。
時は下って1492年、スペイン王国によりイスラーム帝国ナスル朝のグラナダ王国首都・グラナダが陥落して、イスラーム勢力のイベリア半島での支配は終了しました。
ジブラルタルもスペイン王国の支配下に置かれていましたが、1700年、太陽王と呼ばれたルイ14世が孫のフェリペ5世をスペイン王に即位させたことから、フランスとイギリス・オーストリア・オランダなどの国々の間でスペイン継承戦争が起こります。
1713年、ユトレヒト条約が締結され、フェリペ5世の王位は承認されましたが、イギリスはスペインからジブラルタルなどを、フランスからはカナダの一部やニューファンドランドなどを獲得しました。
以後、現在に至るまでジブラルタルはイギリス領とされ、領土権を主張するスペインとの間で領土問題となっているようです。
実際に、スペインとジブラルタルの間には国境線が引かれ、パスポートのチェックが行われています。
そのため、行き来する車が長蛇の列を作っていました。
ジブラルタルに着いた時は夕方で、ホテルの予約もしてないのに長時間待ってジブラルタルに入るのも不味いかなと思い、ジブラルタルのすぐ側のホテルに泊まりました。
3つ星ついてましたけど、改装中ですんげぇボロいエレベーターがあって、中も古かったのを記憶しています。
でも、1階のレストランは料理も美味しくて、良かったです。
ホテルの名前は忘れちゃいましたけど、海岸線沿いに建っているので行けばすぐ分かるでしょう。
個人的には、高くていいならジブラルタルのホテルをお勧めしときます。

翌日、長い列を作って国境を越え、ジブラルタルに到着。
中はすんげぇ狭い道路が一方通行で入り組んでて、走りにくさは天下一品。
おまけに休日で店は全部しまっているという体たらくでした。
ヨーロッパは休日になると必ず休むので、都会から離れた場所は注意しておかないといけません。
上の写真は、ジブラルタル海峡を山の上から写したものです。
山の上まで車でいけますが、道が狭いのでかなり苦労します。
下から歩いて登るのは、結構しんどそうでしたよ。
どっちにしても苦労しそうです(笑)。
海峡を一望できるジブラルタルを押さえれば、海峡封鎖により地中海と大西洋の通行を遮断できます。
そのため、イギリスにとっては重要な軍事拠点であり、防衛のために多大な犠牲も払ってきました。
山上には、戦死した兵士達を慰霊する施設も設けられています。
大きな砲台跡があるんですが、そこからの景色は素晴らしかったです。
行ったら是非、登ってみて下さい。
上の写真が多分、そこから撮影したものだと思うんですけど、記憶が定かでありません(どっかの政治家みたいですね)。

山から見るジブラルタルの街並です。
まあ猫の額ほどの狭い土地に、ごちゃごちゃと建物がひしめきあっています。
ナポレオン戦争で活躍し、トラファルガー海戦で戦死したネルソン提督も戦闘後、遺体となってまずここジブラルタルに運ばれたと記憶しています。
イギリス海軍にとっては、重要拠点と同時に聖地でもあるんでしょうね。
沖や港には、現在でも多数の軍艦を見ることができます。

こちらはジブラルタル空港。
滑走路(写真右から左にかけて)の真ん中に一般道路があって、スペインとの行き来に使われています。
写真左から奥に向かって伸びてる道なんですけど、分かるかな。
飛行機の離着陸時には、一時、この道を封鎖します。
こぜまい街なんですけど、古い街並が残ってて、昔のヨーロッパの雰囲気を今に伝えています。
国境でのパスポートチェックにかかる時間は鬱陶しいですが、南スペインに来たら訪ねておきたい場所でしょう。

上海の空の玄関、上海浦東空港です。
ターミナルは全然足りていません。
離着陸の際には、駐機場とターミナルをバスが行き来して客を運びます。
今後、拡充されていくんでしょうかね。
上海には、街の西にもう1つ、虹橋空港があります。
今度、この虹橋空港と東京の羽田空港にシャトル便を増設する話が出ているんですね。
人の行き来も多くなっているんでしょう。
到着すると入国審査があります。
これがかなりの時間を要します。
大体、長蛇の列が出来ていますね。
抜けるのに、大体40分くらいはかかると言われていましたが、実際そのくらいかかっちゃいました。
右横に中国人用の審査ゲートがあるのですが、香港と台湾の人もこちらという案内がしてあって興味深かったです。
中国共産党は台湾も中国の一部と言い張ってますから、返還された香港はともかく、台湾の人も建前としては中国国民と同じ扱いということなんでしょう。
帰りの出国審査自体は簡単なのですが、この御時世なのでチェックが非常に厳しいです。
金属探知機をくぐり、その後さらに身体の隅々まで探知機を当てられます。
何か隠してないかチェックもされます。
この厳戒態勢はただ事ではなかったですね。
万が一でもテロなど起こされたら、共産党の沽券に関わるということなんでしょう。
面子ということを非常に大切にするお国柄らしいですからね。
アメリカ人が公平性を非常に大切にしているのと同じでしょうか。
だとしたら、アメリカ人ともめれば、「フェアじゃない!」といえばいいのと同じように、中国人ともめたら「面子を潰してくれるな!」と言えば、話を聞いてもらえるかもしれません。
さて、空港の話題を書いたので、1つ質問です。
飛行機の搭乗口は左右についていますが、実際の乗り降りは片方しか使いません。
それは機体の進行方向に向かってどちら側でしょうか?
そして、なぜそちら側しか使わないのでしょう?
分かる人は、凄いマニアックな知識の持ち主でしょうね〜。

上海随一の繁華街である南京東路沿いに人民広場があります。
その人民広場の敷地内に上海博物館(シャンハイボウウーグアン)があります。
国共内戦で敗れた国民党が台湾に逃れた際に、多くの美術品や文化財を持っていったということだったので、中国本土にはロクな物が残ってないのかと思ってましたが、なかなかどうして素晴らしい物もたくさん残ってます。
こちらに立ち寄れば、それが分かるでしょう。
北京の故宮博物館と並ぶ博物館なんでしょうね。
なんでも鑑定団でも、この博物館の所蔵品が時々紹介されています。
到着してすぐに腹ごしらえのためにレストランに入りました。
で、昼時というのに人が全然いなくて嫌な予感がしていたら、予感大的中!
高い上にすんげぇ不味いんでやんの。
頼んだのがチャーハン(のつもり)だったのですが、最初のスープは美味しかったものの、肝心のチャーハンが出来の悪いオムライスみたい。
薄く伸ばした卵焼きがかかってるんだけど、これがペカペカのカピカピ卵焼きで、ちっとも美味しくねぇ。
つーか、上海のチャーハンって一緒に卵を混ぜ込まないのか?
肝心のチャーハンも今時のレトルトの方が全然マシってシロモノで、生煮えグリーンピースに生煮え人参が入り、ご飯はピラフかって感じでした。
腹が減ってりゃここで食べてもいいですが、チャーハンだけは止めておいて下さい。
初手から暴れそうになりましたが、展示内容は素晴らしいです。
1階から4階まであって、それぞれの階にいくつか展示室があります。
1階は青銅器だったと記憶していますが、何千年も前の器が次々と並べられていて、素晴らしいです。
器を見る限り、この時既に相当に爛熟した文化を持っていたことが分かります。
どの器も形や装飾が、とても洗練されているのです。
そういや奈良の博物館でも青銅器を見たけど、同じような感想を持ちました。
こりゃ凄ぇや。
館内は、この青銅器を始めとして、書画、通貨、骨董、少数民族の伝統の品々がこれでもかと並べられています。
書画の所はさすがにフラッシュ撮影は禁止でしたが、フラッシュさえしなければ撮影OK。
他はもちろん撮影OKのようで、この辺り大陸的で大らかだな〜と感心してしまいました。
マナーの悪い客がいないから成り立っているのか、文化財に対する意識がそれ程高くないのかは分かりませんけど、観光客からすれば有り難い話です。
ということで、ホントにいいのかなと思いつつ撮った写真を数点載せておきます。

こちらはかの有名な景徳鎮の壺。
景徳鎮は1コーナーが設けられ、そこで数々の名品を展示していました。
やはり綺麗でしたね。
こういった骨董品の他に書画のコーナーもあって、特に書では王羲之とか王安石、朱喜なんて有名人の書も展示してありました。

こっちは学校の歴史の教科書にも出てきた甲骨文字ですね。
写真では分かりませんが、この骨に文字が刻み込まれています。

宝玉のところで見た壁(へき)です。
これは「完璧」の語源になった宝玉ですね。
璧を完(まっと)うするということで「完璧」です。
下が土ではなくて玉ですね。
壁(かべ)ではないですよ〜。
お子さん、漢字で困ってらっしゃったら、こういうエピソードも含めて教えてあげると、間違わなくて済みます。
中国の戦国時代(紀元前403〜紀元前221)、後に中国初の統一王朝となる強国にして英語の CHINA の語源ともなった「秦」(しん)の王は、趙の国に「和氏の璧(かしのへき)」と呼ばれる見事な「璧」がある事を知り、これが欲しくなりました。
そこで、「和氏の璧(かしのへき)」を「秦の15の城と交換したい」と申し出ました。
この時、趙の国の臣下の客人にすぎなかった藺相如(りんしょうじょ)が、秦の国への使いに抜擢されます。
断れば強国秦に趙攻めの口実を与え、渡せば渡したで15の城をもらえるかどうかも分からないという難局に、誰も役目を果たしたがらなかったためです。
こうして藺相如は秦の国に行きましたが、もとより秦王に城と交換する気などありません。
秦王の気持ちを察した藺相如は璧を持つや叩き割るぞと脅しをかけ、秦王に璧を見る作法として身を清めよと言い放ちます。
そして、璧は先に従者に持たせて国に帰しておいて、自らは秦に残り時間を稼ぎました。
その上で、璧が無事となる頃合いを見計らい、秦王に璧が既にないことを告げました。
秦王も元から城を渡す気もなかったので、藺相如を殺して趙の国の恨みを買うのもバカらしいと、璧と城の交換はなしということで藺相如を帰しました。
璧を完うして帰ったわけです。
この他、少数民族に伝わる文化財の展示館では、日本の能面に似た面があって興味深かったです。
なんだか欧米と異なり、どっかで繋がっていそうな雰囲気がそこかしこにありますね。
音声ガイドもあるので、より深く知りたい人は借りておくといいでしょう。
3階だったと思いますが、喫茶室もあります。
1階のレストランよりはマシだと思いますが、行ってないので分かりません。
ここで中国茶を飲んで外したら、マジ大暴れですね(笑)。
この庭園は、四川布政使(四川省の長)を務めた上海出身の潘允瑞という役人が、かつて刑部尚書(法務大臣)であった父親・潘恩への孝行のために建設したものです。
豫園の豫は愉と同音で(どちらもユーの音)、楽しいという意味につながります。
1559年に建設が開始され、18年をかけて完成しましたが、その時には既に父親は亡くなっていたそうです。
親孝行したい時に親はなし。
気を付けましょう。
その後、荒廃したそうですが、復興や改築を繰り返して現在の姿に至っています。
全体にこぢんまりしていて狭苦しいですが、建物や庭園は見事です。

こちらが豫園の入口を入ってすぐの三穂堂です。
目の前には、江沢民の石碑(江沢民参上の落書きと読む)があります。
由緒ある史跡に落書きしたくなるのは、どこの国の人間も同じようです。
豫園という名前があるのに、なぜか「海上名園」となっています。
上海なのでちょっとひねったのでしょうか?
こういうものはおかずに、できるだけ昔のままで残してもらいたいもんだと思う管理人でした。
三穂堂を写すときに邪魔になって仕方ありませんでした。
何十年何百年か後には、立派な歴史的石碑となるんでしょうかね(え、今、既にそうなの?)。

三穂堂の建物内部です。
園内の建物には、お土産を売っているところもあります。
総じて値段はべらぼうに高いです。
裕福な観光客向けになっているのでしょう。
値段を見て、「あら安いわ、これ!」と思える人は買いましょう。

こちらは築山。
手前は池で鯉が泳いでたりして、この庭園を眺める人のために、観光客の流れが悪くなる場所です。
小狭いですが、観光客がぞろぞろいなければ、静かで落ち着いた空間だと思います。

こちらは万花楼という建物です。
建物の前には、樹齢400年といわれる大銀杏がありました。
豫園の変遷を見ている樹木ですね。

壁の上には龍が巡らされています。
龍壁と呼ばれるもので、こちらはその龍の頭ですね。
龍は皇帝のシンボルであり、このような装飾は本来できなかったのですが、5本ある爪を4本にすることで、「龍ではない」と弁解をしていたという話です。

庭園の端の楼閣です。
個人的には、この楼閣が見ていて一番気に入りました。

こういう通路が池の上を走っています。
趣があっていいですね。

こちらは別の楼閣。
このような建物がそれ程広く無い空間に、みっちりと建っています。

こちらは内園です。
中央に見える建物は古戯台と呼ばれる舞台となっており、周りをぐるっと建物が囲んでいます。
1780年に建設されたそうで、こちらは明時代の豫園の造りと異なり、清代の建物の造りとなっているそうです。
両側の建物には、机と椅子が並べられていました。
観覧席でしょうかね。

舞台の天井には、細かな装飾が施されていました。
う〜ん、素晴らしい!
全体の印象ですが、狭い敷地に建物と観光客がひしめいています。
また機会があれば、皇帝や高官のでっかい庭園も見てみたいです。
せせこましさが、ちょっと気になった豫園でした。

