
全国的に珍しい不等辺五角形の天守閣を持ってます。下から2段目の唐破風の下がその五角形の先です。安土城の不等辺八角形の天守を真似て作られたという伝承もあるそうです。こういう崩れた形に美を感じるのは、日本人の特性ですね。残念ながら鉄筋ですが、非常に綺麗です。
その黒い容姿から「烏城(うじょう)」、或いは、金箔押しの瓦、鯱を有していたことから「金烏城」とも呼ばれるそうです。色黒の自分としては、非常に愛着を感じてしまいます……金は持ってないけど(なんのこっちゃ)。
天守閣の建設は、豊臣政権下で五大老を勤めた宇喜田秀家によるもの。その家格に相応しい相当に大規模な城郭だったようです。現在城跡として整備が進む場所は、本丸にすぎません。本丸本段、中の段、下の段と本丸だけで3つの段が設けられています。
普請奉行には数学、築城術に優れた中村次郎兵衛が任命されました。天守閣は初期の心柱のない工法で作られていたそうです。また築城にあたり、旭川の流れを付け替えたようです。昔はもっと東を流れていたのを、本丸の防御に用いる為に今の場所に持って来たんですね。掘った土は本丸の土台にしたとか。もの凄いことしますね。
当初は現在の天守閣の西にあった小高い丘、石山に本丸があり(現在の二の丸)、そこを改修にあたって本丸にする予定だったのですが、秀吉の提案で少し東に奥まった現在の場所、岡山と呼ばれた丘にしたそうです。これが岡山の地名の由来となりました。
岡山は石山よりも低かったため、防御を固める必要もあって、旭川を付け替えて、掘った土を本丸に盛るという大土木工事になったんですね。本丸を東に移したのは、西の雄、毛利家やその他の西国大名への抑えとして、防御を強固にするためだったのでしょう。
因みに、宇喜多秀家は秀吉の養女豪姫を嫁にもらっており、秀吉の婿になります。また豪姫は、加賀の前田利家とその奥方まつの息女です。秀家の父親である宇喜多直家が、死の間際、律儀な秀吉に哀願して秀家のことをよろしくと頼みました。秀吉はその頼みをこれ以上無い形で果たしたのです。
でも、天守閣の中で上映されてるビデオを見る限り、秀家の母親がとても綺麗な方で、女好きの秀吉が母親を気に入って、秀家に目をかけたともいえそうです(こっちが主かも)。美人のおかんを持つと得ですね。
ところで、先ほど紹介した中村次郎兵衛は、この豪姫についてきた前田家の者です。素晴らしい技能を持っていたことから取り立てられ、宇喜田家の政に関与するようになりますが、次第に古い家臣達に疎まれるようになって、最後には豪姫の計らいで前田家に逐電します。
城は、関ヶ原で宇喜田家が敗北した後、小早川秀秋を経て、姫路城主池田輝政の息子へと継がれます。岡山城には、歴代の城主が改修を重ねたため、宇喜田時代の野面積み(天守閣の土台の石垣がそう)の他、切込接(きりこみはぎ)と呼ばれる石を切って積む方式など、3種類の石垣を見る事ができます。
岡山は地元なんですが、歴史が苦手で岡山城についてあまり知りませんでした。すごい詳しく書いてあるので評価させていただきました。
あなたの得意なものは何でしょう?きっとその中にも歴史の要素がふんだんに入っています。
野球が得意なら、歴代の名選手の業績、これだって立派な歴史ですよね。
興味を持つと視野が広がります。歴史的なものに出会ったら、是非、色んな情報に触れてみて下さい。あなたのご先祖様の業績に出会えるかもしれません。
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