歩いて5分くらいの場所にあります。丁度、桜の咲く頃でとても綺麗でした。
ここには本丸の堀と石垣、天守閣の石垣なんかが残っています。しかし、福井での地震の際に大きなダメージを受けており、未だ修復がされてないようです。大きく膨らんだ石垣や、崩れた石垣が痛々しかったです。
それにも増して痛々しいのが、本丸跡に立つ官庁群です。県庁と県警と議事堂という具合に、県の政治の中枢をここに置いているようです。
明治時代でもあるまいに、本丸内にこんな建物を建てる神経がよく分かりません。どうせこんなん建てるなら、本丸御殿風の建築にでもすれば良かったのにね。スペースが足りないか(笑)。
県のお偉いさん達は、醜い現代の天守閣に登って殿様気分なんでしょうか。
しかし、本来福井県民はもちろん、県外からの来訪者にも開放されるべき場所に、公務員のお城がドデンと建って邪魔をしてるってのも、違和感があります。
他の街でも、本丸内に官庁があるのは見た事がないですね。
これはテニスコート以上にいただけない代物でした。
案内してくれたおばさんも、あんなものを歴史的な場所に建てて恥ずかしいって言ってました。景観条例を作るなら真っ先に排除されそうです。
おばさんに福井県の恥とまで言われた建物
美しい本丸の石垣から排除して見ましょう。

写真は拡大します。石垣が歪んでいるのが分かるでしょう。
福井城は徳川家康の次男、結城秀康によって慶長6年(1601)から6年間に渡って築城されました。
結城秀康は家康からあまり愛されず、小牧長久手の戦の講和により豊臣秀吉に養子(とはいえ、体のいい人質ですね)に出され、その秀吉からも結城家へ養子にやられた人物です。
1600年に関ヶ原の戦いで上杉景勝の西上を防いだ功により、越前北庄に75万石を与えられ築城を開始しました。以後、松平の性を名乗っています。
本丸天守閣は寛文9年(1669)4月に大火により焼失し、以後再建されていません。絵図からは外観4層、内部5階で約28M、天守台を含めると37Mにもなる大きな天守閣だったようです。
福井城天守閣絵図

現在では、地震で崩れかけた大きな天守台が残るのみです。
本丸天守台の石垣

天守台からは相当に大きな天守閣だったことが伺われます。なんてったって75万石ですからね。
往時の姿や歴史をよく知りたければ、よみがえる日本の城 金沢城
CGなどを駆使して昔の城郭を甦らせており、歴史や城の好きな方にはお勧めのシリーズです。分厚くもないし文字数も抑えてあって殆ど資料集のノリなので、お気軽に読めますよ。
北陸にはあまりスポットが当たることがないですけど、石川県の加賀前田家といい、この越前といい、戦国時代から江戸時代にかけてはとても豊かだったんでしょうね。
地方分権が進んでくると、こういう街も独自路線で活気を取り戻してくるんでしょうか。もしそうなら、とても楽しみです。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

