上田城の歴史でも触れた砥石城は、上田城の北東にあります(砥石城周辺地図はこちら)。上信越自動車道・上野菅平インターで出て、国道144号線を北に向かうと伊勢山交差点があります。そこを左折すればたどり着けます。案内板も出ています。
来年の大河ドラマ「風林火山」で主人公となる山本勘助(内野聖陽さん)が仕える武田信玄(市川亀治郎さん)が攻めて落とせず、逆に反撃を喰らって負けてしまったといういわく付きの城です。世に砥石崩れとも言われるこの敗戦は、武田信玄の生涯でたった一度の敗戦となりました(もう1つ、上田城の南西で行われた上田原の合戦を挙げる場合もあります)。
砥石城は尾根伝いに複数の城郭を配置した複合城塞で、南に砥石城(砥石城全体のうち、南にあるこの城もこう呼ばれている)、その西に米山城を配置し、砥石城の北に本城、さらに北の城内最高所に桝形城があります。これらの城を全部ひっくるめて砥石城と呼んでいます。


登山道はいくつかあるようです。1つは米山城と砥石城の間の尾根を目指すルート(私はこちらから上りました)。もう1つは、東側の麓にある伊勢山から大手口を目指すルート。他にも西の金剛寺集落からのルートもあるようです。


登山途中には思いもかけず、関東の富士見100景の1つを示す標がありました。おお、ラッキー!後ろを振り向いてみると、あらら、雲がかかっていて見えません……アンラッキー、しくしく。
晴れた日には綺麗に見えるのでしょう。富士の好きな方は是非、来て見てみて下さい。

上って行くと三叉路に出ます。左が写真の馬場跡。上に登れば米山城です。馬場跡という割には、ちと狭いですね。右に進めば、砥石城へと至ります。

砥石城の曲輪の手前にある山道です。ロープが張ってあるので登るのは問題ないですが、武田信玄を敗退させただけあって、とても急な坂となっています。

こちらが砥石城の曲輪跡です。20メートル四方程度の広場となっており、見晴らしはとても良いです。

砥石城から西の米山城と上田城方面への展望です。気持ちが良かったです。ここまでの道は整備されているので、ロープ伝いの箇所もありますが苦労はありません。
この展望を見れば、砥石城が上田周辺を制する上でいかに重要な戦略拠点だったかが分かるでしょう。
砥石城から北に行けば大手口、本城、桝形城へと行けます。尾根伝いなのでとっても楽です。ここまで来て疲れちゃったよって人も、是非是非、先へ進んでおきましょう。

砥石城と大手口の間にある切岸(きりぎし)です。切り立った険しい崖を切岸といいますが、これは守りを固めるために人工的に造られたものです。
下にある堀切と合わさって、敵兵の侵入を阻みます。元々はここに梯子がかけられていたと推測されています。梯子をはずせば連絡は断たれ、守りは一層完璧になりますね。

こちらが大手口付近です。私が登ってきたルートではなく、東の伊勢山からの登山道が大手と考えられ、途中の山麓には湧き水も出て、砥石城の「水の手」と考えられています。
また曲輪も伊勢山からの登山道途中に多く設けられていたようです。武田信玄が攻め寄せたのも、大手口からだったのでしょう。


本城を構成する三の郭です。上が南から三の郭を見た写真で、下が三の郭東側の写真です。広大な曲輪が広がっており、土塁も往時の姿をよく止めています。

こちらは二の郭近辺の石垣跡です。北に向かって三の郭、二の郭、本郭と連郭式に曲輪が配置されており、その広大さに驚かされます。

こちらが本郭跡です。砥石城の中心となる場所で、この周りの郭全体が本城を構成しています。
本城は、普段見る城でいう本丸に当たる場所です。本郭の周りには、山上にもかかわらず相当に広い平地が造成されており、館があったと考えられています。

本城と北の桝形城を分断するから堀の跡です。尾根を切る形で掘られたこのような堀を堀切と呼んでいます。進みやすい尾根伝いに侵入してくる敵兵を防ぐ上で、有効な防御施設です。

本城と桝形城の間にあった矢竹です。節が低く節間も真っ直ぐなことから、矢の柄に用いられます。自然に生えてくるものはもちろん、わざわざ城内に栽培する例もあります。この矢竹も砥石城内に植えられていたものの名残ではないかと考えられているそうです。
中世の城跡や館跡には矢竹が植えられている例は多いそうです。史跡を訪ねたら、気にして見てみるといいでしょう。緊急時に矢が無くなることにも配慮して、怠り無く備えていたんですね。

砥石城内最北端最高所、標高800メートルの場所にある桝形城です。曲輪の西側の入口が折れ曲がり4平方メートルの桝形になっていたことから、この名前が付いたとされています。
最高所にあり周りは切り立った断崖であることから、守りは非常に堅く、ここが「本城」とされていた時期もあるそうです。

桝形城から北東を見た写真です。砥石城の東側には真田氏発祥の地である真田庄が広がっています。武田信玄も落とせなかった砥石城ですが、真田幸隆による謀略であっさりと落城しました。
ここに来るまで、真田の本拠地とこんなに近いとは予測していませんでした。まさに指呼の距離です。
写真中央からやや右上の段丘状になっている所のさらに右上にある小山に、後で記事でアップする予定の真田本城があります。写っていませんが、写真右側で切れているさらに右側には真田氏館跡もあります。
最後に登ってみた感想ですが、そう無茶苦茶に堅い城という訳ではないなと思いました。これなら美作の矢筈城の方がよっぽど堅いです。或いは、天神山城もこの城よりずっと堅いでしょう。
武田信玄ほどの武将がこれを大軍で囲んで攻め落とせないというのは、隙があったか、或いは野戦は得意でも城攻めはそれ程得意ではなかったのかなと考えてしまいました。当時立て籠っていた城兵の士気の高さもあったでしょう。
砥石崩れと砥石城の攻略については、また歴史ノートに記したいと思います。
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