四方八方 ~旅行と子猫日記~

興味の向くままあれこれと記録した日記。史跡巡りを中心に旅行情報を主に掲載。天井裏に迷い込んだ子猫の日記も更新中。

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 四国は香川県高松市の高松駅近くに、史跡高松城跡があります(地図はこちらをご覧下さい)。万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕言葉として「玉藻よし」と詠んだことから、この辺りの海は玉藻の浦と呼ばれていました。そのため、別名玉藻城とも呼ばれています。堀には海水を引き込み、舟入(ふないり)と呼ばれる港まで造られていた日本を代表する海城です。現在は玉藻公園として整備されています。早速見ていきましょう。


高松城地図

高松城縄張り図

 高松城は往時66万平方メートル(約20万坪)もの広大な城域を誇っていましたが、現在の玉藻公園はその8分の1程の79587平方メートル(約2万4千坪)に過ぎません。それでも、全部を回って見るには一苦労です。


玉藻公園

玉藻公園の碑

 JR高松駅を出てまっすぐ東に進むと、この西入口に着きます。入口の左側は廉櫓(れんやぐら)跡です。本丸北西を守る隅櫓です。碑の右側は弼櫓(ゆみだめやぐら)跡になります。この二つを櫓門の黒鉄門で連結していたようです。入口の上に黒鉄門の櫓があったというわけです。


文櫓

二の丸

 上の写真は、二の丸の南西を守っていた文櫓(ふみやぐら)跡です。下の写真は文櫓跡から二の丸を見たものです。二の丸には広い空き地が広がっています。


二の丸から本丸

二の丸から鞘橋(さやばし)と本丸天守台を望む

橋

本丸から鞘橋と二の丸を望む

鞘橋

鞘橋内部

本丸の枡形

本丸への入口

 二の丸の北端に鞘橋があり、これを渡ると本丸です。本丸の周りは広い堀が巡らされており、この橋を使ってしか行けませんでした。当初は欄干橋だったようですが、江戸時代中期末には写真のような屋根付きの橋が建造されていたそうです。


 鞘橋を渡った先の入口は、直進できないように曲げられており、右の石垣には中川櫓が設けられていました。また櫓門があって厳重に守られていました。


かねやぐら

矩櫓(かねやぐら)跡

階段

天守閣への階段

 本丸には2つの櫓跡が残り、天守閣跡に行く石段があります。写真は矩櫓(かねやぐら)跡です。この櫓は本丸北西をぐるっと覆っていた多聞櫓(壁のように長く張り巡らされた櫓で非常に強固な守りとなる)です。南西には地久(ちきゅう)櫓と呼ばれる隅櫓がありました。


 また、築城年代が天正16年(1588)と早かったこともあり、本丸は狭く設計されているそうです。そのため、本丸御殿を造るスペースがなく、本丸御殿はありませんでした。


 天守閣は当初3層4階(生駒氏の時代)、後に3層5階(松平氏時代)に改築された南蛮天守が偉容を誇っていました。最上階が外に張り出す形で、一目でその形の違いが分かります。このような天守閣は他でも見た事がありません。非常にユニークな造りです。しかし、残念な事に明治17年(1884)に取り壊されました(あ~あ、まただよ!)。


 興味があれば、模型が玉藻公園内の陳列館(桜御門跡のすぐ東にある)に置いてありました。また、「よみがえる日本の城 高松城」の表紙を見てみると良いでしょう。このシリーズは美麗なCGや絵を使って在りし日の城の様子を再現しており、城の好きな方にはとても面白い内容になっています。おススメの本ですよ。


 天守台には現在、松平頼重を祀った玉藻廟が建てられています。これは明治35年(1902)に建てられたものだそうです。しかし、御神体は高松市に譲渡された時に移され、建物が残っているだけだそうです。


 知らずに真面目に拝んでしまいましたぁ!ま、気は心です。


水門跡

本丸より水門を望む

水門

城の外から見た海水取り入れ口

 高松城の堀はここで瀬戸内海とつながっており、海水が流れ込んでいます。潮の干満による水位調節のために水門が設けられています。しかし、昔、どのように水位調節をしていたのかは、分かっていません。或いは、水位調節などはしてなかったのかもしれませんね。堀の中にはボラやチヌなどが泳いでいます。


 高松藩の祖、松平頼重(水戸黄門で有名な徳川光圀の兄)は高松城に入城すると、「讃岐の国は海辺の国なれば水練は武道の一班たるべし」と言って、藩士の今泉八郎左衛門(いまいずみはちろうざえもん)に命じて藩士に水練の指導をさせたそうです。頼重自らも写真に見える内堀で泳いだとの記録も残っているそうですよ。


本丸より閣

本丸より披雲閣(ひうんかく)を望む

披雲閣

披雲閣

 二の丸の東には内苑御庭があります。藩政時代の庭を元にして、大正5年(1916)頃に造られた枯山水の庭です。重さ11トンにもなる手水鉢や昭和天皇が皇太子時代に植えられた松などがあります。


 その庭にある大きな建物が披雲閣です。藩政時代、現在の2倍もの広さの御殿があり、政庁や藩主の住居もありました。しかし、明治5年(1872)に老朽化のため取り壊され、その後大正6年(1917)に現在の建物が建てられました。142畳もの大書院があり、波の間には昭和天皇・皇后がご宿泊された由緒ある建物です。


月見櫓

月見櫓と水手御門(みずてごもん)

水手御門

水手御門

 月見櫓は松平氏が入封した後、海を埋め立てて北の丸(北新曲輪)を増設したことに伴い、延宝4年(1676)に曲輪の北西に完成した隅櫓です。出入りする船を監視すると共に、城主が江戸から船で帰って来るのを望み見たことから「着見櫓(つきみやぐら)」とも呼ばれているそうです。


 総塗籠(そうぬりごめ)造り、3層3階、入母屋造り、本瓦葺きです。初層の東西は千鳥破風(ちどりはふ)となっています。これは屋根の形で三角の屋根のことです。また初層の南北と二層は唐破風(からはふ)としており、この対比が月見櫓の外観を一層美しくしています。唐破風とは丸みを帯びた屋根のことです。


 この月見櫓の横が渡櫓で、水手御門へとつながっています。水手御門は海上から城への大手門で、昔はこの手前まで海水が来ており、船をここに付けていたようです。この水手御門も海城の特徴の1つです。海上封鎖をしない限り、ここを通じて兵糧弾薬を運び込め、いくらでも籠城できるようになっています。また、いざという時は、ここから女子供を脱出させることもできたでしょう。


 徳川家の親藩として、中四国の大名ににらみを効かせる上で、この堅固な守りは大きな意味を持っていたことでしょう。


 月見櫓は重要文化財に指定されています。


桜御門

桜御門跡

 旧文化財保護法で国宝に指定されていたそうですが、昭和20年の高松空襲で焼失した桜御門の跡です。石垣や礎石には空襲で焼けた跡が見られます。


 巨大な櫓門が建っていたようです。この南側には桜の馬場があり、馬の調練などが行われていたそうです。現在はかつての2分の1程度の大きさだそうです。その広大さに驚かされます。


艮櫓城内

城内から艮(うしとら)櫓を望む

艮櫓

艮櫓を南東より望む

 城域内の南東には太鼓櫓跡があります。一番上の写真の櫓の下にある石垣がそうです。現在建っているのは、艮櫓です。これは元々、城の北東にあった東之丸という曲輪の北東を守っていた櫓を高松市が旧国鉄から昭和40年(1965)に譲り受けて、2年かけてこちらに移築したものです。そのため、北東の方角にあたる「うしとら」の名が付けられているのです。現在は、南東にあるから名前の通りではありませんね。


 また、移築に際して石落としという櫓の第一層の外に張り出した防御施設との関係上、櫓の向きを90度回転させているそうです。北東を守っていた時は、北と東に石落としを設けておけばいいのですが、今度は南東を守るようになりましたから、石落としは南と東にないといけないという訳です。どうせなら、もとの位置に戻して太鼓櫓を復元してもらいたいところですね。


 艮櫓は月見櫓と同時期の建築のようで、完成は延宝5年(1677)頃と言われています。三層三階、入母屋造、本瓦葺きで、構造も月見櫓によく似ています。第一層に設けられた大きな千鳥破風が特徴です。


 こちらも重要文化財に指定されています。


枡形

太鼓御門跡と枡形

 この太鼓櫓跡(艮櫓)の北側に太鼓御門がありました。太鼓御門の先は例によって枡形が造られ、侵入する敵を包囲し迎撃する仕組みとなっていました。この枡形はこの働き以外にも、城内の兵を外に攻め出させる時に兵士を中に入れて概数を認知するという機能も持っていたようです。


旭橋

旭橋と旭門

 太鼓御門を出て枡形に入り、右手(東側)には旭門が控えています。その旭門をくぐると旭橋が城の中堀に架けられていました。





 天守台からの眺めと内苑御庭は見ておいて損はないでしょう。城の歴史や文化財に興味があれば、城域内の東にある陳列館にも行ってみるとよいでしょう。


 高松駅からすぐの西側入口の開門時間は、日の出から日没までです。季節によって時間が変わります。東側入口となる旭門の方からは、4月から9月までが、7時から18時。10月から3月までが、8時半から17時までです。


 入園料は大人200円。小人(6歳以上16歳未満)が100円となっています。



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月見櫓、艮(うしとら)櫓、水手(みずのて)御門、渡櫓が現存し、昭和25年(1950年)8月29日共に国の重要文化財に指定された。戦前は三の丸の桜御門が現在の重要文化財クラスに相当する国宝に指定されていたが、昭和20年(1945年)の高松空襲で焼失し、その後再建されるこ
2007/03/08(木) 04:34:44 | 城とかいろいろ
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