四方八方 〜旅行と子猫日記〜

興味の向くままあれこれと記録した日記。史跡巡りを中心に旅行情報を主に掲載。天井裏に迷い込んだ子猫の日記も更新中。

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 岡山県の南部にある玉野市に常山城という山城跡があります(周辺地図)。


常山城

常山城を北東から望む 正面山頂が栂尾丸(つがのおまる)



常山城東から

常山城を東から望む



常山城縄張り図

常山城縄張り



 標高307メートルで、その美しい山容から児島富士とも呼ばれる常山の山頂に築かれた複合連郭式の山城です。


 連郭式というのは、防御陣地となる曲輪を本丸から縦並びに配置する方式で、本丸からこの連郭式の曲輪が複数尾根伝いに延びる方式を複合連郭式と呼びます。


 写真の縄張り図を見てもらえば、常山城は2つの曲輪群が本丸から延びているのが分かるでしょう。


 戦国時代、備中兵乱において三村氏方の最後の砦となり、落城に際して女軍が奮戦したという逸話が語り継がれてきた常山合戦は、この常山城が舞台となっています。


 このお話は歴史ノートに記すとして、早速城の様子を見ていきましょう。







 城跡のある山頂までは、一気に車で登れてしまいます。


 山腹をグルグル回って、山頂の栂の尾二の丸にある駐車場まで行けます。


 もちろんハイキングコースもあります。


 車道は狭く車1台がやっと通れる程度です。


千人岩

千人岩からの眺め


 本丸の東、車道の途中にある千人岩です。


 常山合戦において、城方の退路を断つために兵千人が配置されたと伝えられています。


 車を降りて行ってみましたが、岩の上には頑張って100人がやっとでしょう。


 この辺り一帯に配置されたんでしょうか。


 あまり空間はないですから、密集してたんでしょうね。


 ご覧の通り、景色はよいです。


底無井戸

 こちらも車道の途中から行ける底無井戸(そこなしのいど)です。


 常山城の水の手と伝えられ、涸れたことがないそうです。


 現在は写真のように周りをコンクリートで固められ、覆いがしてあります。


 中をのぞくと、水が満々とたまっています。


栂尾丸

 栂尾二の丸は、現在、駐車場になっています。


 奥に見えるのが、栂尾丸に立つNTTの電波塔です。


 城があっただけあって、電波塔を建てるのにも地の利が良かったんでしょうね。


 史跡保護の観点からは、ちょっと疑問の残る建物です。


青木丸

 栂尾二の丸から南に登ると青木丸です。


 ここにも鉄塔が建っています。


天神丸への道

天神丸


 上が、青木丸から天神丸への道です。


 天神丸には石仏や五輪塔があります。


 天神丸に限らず、常山城跡の至るところに石仏が散在しています。


北三の丸

 トイレのある北三の丸です。


 トイレはもちろん現代のもの。


 といっても、今やなつかしくなってしまった汲取式です。


 そのうちこの公衆便所も史跡に指定されることでしょう………ないか。


女軍の墓

北二の丸


 上が北二の丸にある女軍の墓です。


 備中兵乱において、城主・上野隆徳とその妻・鶴姫は毛利の大軍を相手に最後の抵抗を試みました。


 鶴姫以下、34人の侍女達は二の丸に迫った毛利の将・浦宗勝の軍勢に突撃。


 侍女達が次々と討たれる中、鶴姫は本丸に引き返して夫と共に自刃しました。


 昭和12年(1937)、墓石と墓碑が建立されました。


 墓石の写真左に墓碑があり、「非常時ニ於ケル婦人ノ亀鑑」と激賞の文言が刻まれています。


 日中戦争の始まった年ですね。


 墓碑の文言も時代を感じさせます。


 奥の階段を上ると本丸跡に至ります。


本丸

腹切岩

 本丸跡には城主・上野隆徳公の碑が建っています。


 すぐ側の岩は「腹切岩」と呼ばれ、上野隆徳最期の場所と伝えられています。


腹切り岩

 本丸跡にある展望台から見た本丸跡の様子です。


 腹切岩が見えます。


 写真右手には、池(井戸?)跡もありますが、現在はゴミダメと化しています。


 本丸の規模は縦50メートル、横37メートルです。


 草が生えていて実感できませんが、平らにするとかなり広いと思います。


本丸からの眺め

 展望台からの眺めもいいです。


 多少木や鉄塔が邪魔な感じですね。


 展望台よりも途中の景色の方が良いかもしれません。


兵庫丸

 本丸の南裏手にある兵庫丸です。


 名前から察するに、武器庫でもあったんですかね。


矢竹丸

 本丸の東にある矢竹丸跡です。


 見えにくいですが、奥に石仏が並んでいます。


 矢竹は、非常時に矢の材料とするために植えられました。


 この辺り一帯に群生している竹は、その名残でしょう。


矢竹丸からの眺め

 矢竹丸から南方向の眺めです。


惣門二の丸

 さらに東に下ると、惣門二の丸跡に至ります。


 ここにも石仏が並んでいました。


 奥が西、本丸方向になります。


惣門丸跡

 東、手前方向に一段下がったところには、惣門丸跡があります。


 確認していませんが、写真左手には土塁の跡があるようです。


 写真の通り、草ぼうぼうです。


 桜の木が植えてあるので、春は綺麗なんでしょうね。







 さて、今回お気づきの方は鋭い方だと思います。


 今まで紹介してきた山城に特有の防御施設がありませんでした。


 そう、堀切と竪堀です。


 城の案内板には、常山合戦後、常山城は毛利氏の支配下に置かれたが、毛利氏の築城技術とされる堀切や竪堀の跡は発見されていないと書いてありました。


 上野隆徳の妻・鶴姫は三村氏の出身で、上野氏も三村方です。


 その三村氏は毛利氏の下で勢力を伸ばしており、その支配下の城には堀切も竪堀も見られます。


 毛利氏の後に常山城を支配した宇喜田氏の城にも、堀切はありました。


 この城にだけ、そのような防御施設がないのは、どういう理由なんでしょうね。


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コメント
この記事へのコメント
こんばんわ〜
あのう、私のところに「管理人バトン」なるものが廻ってまいりまして、お暇でしたら受け取ってやってくださいませm(_ _)m
2006/11/11(土) 02:33 | URL | shinako #mQop/nM.[ 編集]
今度は管理人バトン?
どんなんでしょう。
とりあえず、暇だろうが何だろうが受け取りますよ〜。
o (^-^) o
2006/11/11(土) 11:45 | URL | shinakoさんへ #-[ 編集]
To me, sir--it was my misfortune; for, I knew him well enough for a favourable turn in the hot water.
2007/01/07(日) 12:02 | URL | bathroom cabinet ottawa ontario #-[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/09/02(日) 17:46 | | #[ 編集]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2007/12/18(火) 17:48 | | #[ 編集]
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